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刀 |
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| 注文する/Order | 特徴:野州住昭盛は本名を田中研次、栃木県矢板市(当時の住所は塩谷郡矢板町)、昭和9年(1934年)に名工・栗原彦三郎昭秀の門人となり日本刀鍛練伝習所に所属、昭和10年(1935年)の文部省第1回展覧会において特選を受賞した、本作は昭和二十七年の講和記念刀で、日本は終戦直後にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は日本の武装解除の一環として、全国に日本刀をはじめとする武器の提出を命じて接収し刀狩が実行され刀鍛冶は新たに作刀する事も許されない状態でした、1951年(昭和26年)9月にサンフランシスコ講和条約の調印があり日本の主権回復の兆しが見え始め、日本刀も栗原彦三郎(昭秀)が各国元首や日本の首脳部や神社などに寄贈する刀剣として300口の日本刀製造認可申請書を申請し、サンフランシスコ条約は昭和27年4月28日に発効され、彦三郎の申請した講和記念刀300口の製作認可を得て全国の刀匠に製作させましたが彦三郎の死去により寄贈は実現しなかった、本作は昭盛の講和記念刀にして最後の作品。 |
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